神秘な海の世界から一粒の真珠が生まれました!

世界最古の宝石といわれる真珠は、母なる貝から取り出されたその時から宝石としての価値を見出し、海からの贈り物として、長い年月人々に愛されてきました。もともと真珠は千個の貝を割って現れるかどうかの貴重な宝石として珍重されてきました。その真珠を見事養殖に成功し、私たちの身近な宝石として世に送り出してくれた軌跡と、良い真珠の見方などを記載してみました。ご参考までにどうぞ・・・

宝石のお手入れ

真珠母貝

良い真珠の見方

Pearl Story

1858年
安政5年
真珠王<御木本幸吉氏>は、鳥羽で代々続くうどん屋「阿波幸」の長男として生まれる。
1887年 伊勢志摩の天然真珠が乱獲のため、水揚げががた落ちになる。「このままでは、志摩の名物が絶滅してしまう」と、乱獲防止への取り組みに彼を駆り立て、さらに真珠養殖事業へと導く。
真珠の出来る
メカニズム
アコヤ貝の中に何かの拍子で異物が入り、それが貝を刺激して、貝は身を守る為真珠層(炭酸カルシウム)を分泌し、それをくるむ。年を経て真珠層を幾重にも巻いた真珠になる。
明治23年9月 真珠研究の第一人者といわれた東京帝大教授の箕作住吉博士から指導を受け、神明村(阿児町神明)と鳥羽で事件に着手。
理論的には可能な真珠養殖だが、(ヨーロッパ各地でも同様の試みはすでに行われているが、いずれも失敗)貝が異物を吐き出してしまうか、死んでしまうかのいずれかだ。御木本幸吉氏の苦悩と失意の日々が始まる。
明治25年11月 英虞湾を赤潮が襲う。全財産をかけた5千個の貝が全滅。彼に残されたは鳥羽の相島で養殖する千個の貝のみとなった。
明治26年7月11日 養殖真珠の成功。相島の千個の貝の中からわずか5粒の半円真珠が世に出た。真ん中で切ったような形で、真珠としては未完成だが、「真珠は人の手でもつくれる」手応えとしては十分であった。
明治27年 国から真珠養殖事業に対して補助金が下りる。
明治29年1月
半円真珠の特許が下りる。
世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます。<御木本幸吉氏が残した名言>
1905年 全環式と呼ばれる独特の技術により真円真珠が完成する。
明治40年 御木本幸吉氏より一足早く真円真珠を発明した西川藤吉氏、見瀬辰平氏が、真円真珠作りの技術(ピース式)を確立して特許申請を提出。今日の真円真珠養殖はこの方法によって行っている。
昭和61年 福井県で、日本最古(5500年前)の真珠が発掘される。≪余談≫

現在、愛媛、三重、長崎などで養殖が行われ、世界真珠市場の90%以上の生産量を誇る。
英虞湾の真珠が重宝されるのは、他と比べいわゆる化粧巻きと呼ばれる巻きの良さがでしょう。化粧巻きとは、秋から冬にかけて英虞湾の急激な水温の変化に弱いアコヤ貝は、貝の活動が鈍くなり、緻密な層を巻きはじます。この時に、色、テリ、光沢がまるで化粧したかのようにつき始めます。